浮世絵で見る江戸・両国

第8回 両国橋と花火〜その1

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:蔵前なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

夕涼みでエアコン要らず?

梅雨の季節になって、だんだん蒸し暑くなってきましたね。


今年の夏はどうなんだろうなぁ。バカみたいに暑くなったら節電なんて言ってられないからなぁ。エアコンは控えるとしても、扇風機は回しっぱなしだな。

でも、エアコンも扇風機もない江戸時代はみんなどうしてたんでしょうね。

今みたいにアスファルトとコンクリートの時代じゃないからね。夕立でも降れば気化熱で多少は涼しくなったし、朝晩は今よりは過ごしやすかった。それに、日本家屋っていうのは高温多湿に耐えるようにもともと風通しのいい設計になってるんだ。ただし、冬はすきま風が吹いて寒いけどね。

そう言えば、子供の頃田舎のおばあちゃんちの縁側でスイカ食べたり、みんなで夕涼みに出かけた記憶があるなぁ。

暑さが厳しければそれだけ涼しさを楽しむこともできるというわけだ。風鈴とか金魚とか、涼しさを感じさせるものもたくさんあったしね。でも、江戸時代最高の「涼み」は、何と言っても川遊びだ。

川遊びって、泳いだり釣りをしたりとか…。


それはキミのおばあちゃんちの話だろ。江戸の川遊びと言えば、何と言っても両国だ。日が暮れて涼しい川風が吹いてくれば、天然のクーラーだ。お金持ちは舟を借り切って舟遊び、庶民は団扇片手に川岸をブラブラして水茶屋や見世物小屋を冷やかす。だから江戸っ子は両国の川開きを凄く楽しみにしていたんだ。

川開きって何のこと?



川での夕涼みの解禁ということさ。両国では橋が出来る前に振袖火事でたくさんの人が水死しただろ。だから水難者の供養や水難防止を祈願する水神祭も兼ねていたんだ。旧暦の5月28日に始まって8月28日に終わる。だから江戸で夏と言えば、この川開きの期間を指すんだ。

舟遊びの舟って、今で言う屋形船みたいなもの?


大型船は「楼舟(ろうせん)」と言って、全盛時には長さが7間から8間あったっていうから、今の屋形船よりも大きな舟だったらしいよ。それ以外にも、猪牙舟(ちょぶね)なんてのもあって、これは舳先が猪の牙みたいな形をしてるからなんだけど、例えて言えば楼舟が大型バスなら、猪牙舟は小型タクシーみたいなもんだ。

その舟でどんな遊びをするわけ?



要は移動料亭、移動お座敷みたいなもので、きれいどころと音曲をはべらせたお大尽集が、日本橋あたりから乗り込んで、宴会をやりながら隅田川を上ってくるわけ。猪牙舟の場合は、川風に吹かれてちょいと一杯やったあと、吉原に行ったり浅草の歌舞伎小屋に行くというパターンだね。

男の人の遊びって、今も昔も変わらないのねぇ…。


お酒や色事ばかりじゃないよ。7月12日の夜はオールナイトで草市なんてのがあって、蓮の葉とかミソハギの小束、白ナス、瓢箪なんかを売ってたんだ。庶民はこれを買って軒先に吊るしたり、稗蒔(ひえまき)売りからヒエやアワの苗を買って箱庭を作ったりしていたんだ。

それって今流行のゴーヤカーテンみたいな感じ?


ゴーヤで日陰を作るっていうのとはちょっと違うけど、やっぱり涼感の演出だな。同様に、両国には虫売りとか虫かご売りなんかもたくさんあった。

虫売りと虫かご売り? 昆虫採集でもやってたの?


そうじゃなくて、江戸時代には花見や月見と同様に「虫聞き」という習慣があったんだ。夏から秋にかけて、夜に鈴虫やクツワ虫の声を聞いて涼感や風情を楽しんでいたんだよ。家で楽しむ以外にも、江戸には「虫聞き」の名所がたくさんあった。一番有名なのが日暮里の道灌山ね。

わざわざ虫の声を聞きに外に出かけるってこと?信じられない…。


あはは。明治時代に入ってからキミみたいに「日本にはそんな習慣があるの?」とビックリした外国人がいた。小泉八雲ことラフカディオ・ハーンだ。

ああ、「怪談」で有名な人ね。



ハーンは「虫の演奏家」というエッセイの中で普通の日本人が虫の音を音楽と捉えて、もののあはれさえ感じるという、世界でも例のない情緒性を絶賛しているんだ。

う〜ん、外国人に言われると説得力有るかもね。


ハーンは万葉集の「庭草に村雨ふりてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり」とか古今集の「あきの野に道もまどひぬまつ虫の声するかたに宿やからまし」なんていう歌も紹介しているし、「虫聞き」の様子は源氏物語にも出てくるから、少なくとも奈良時代から平安時代頃には習慣として定着していたようだね。

う〜ん、ワタシはイヤだなぁ。虫の声を聞く前に虫に刺されそうだもん。

そういう花鳥風月のわからないヤツは江戸時代には軽蔑されただろうな。ところでこの2枚の浮世絵を見てごらん。大きい方(写真上)は橋本秀貞、小さい方(写真左)は葛飾北斎が春朗と名乗っていた頃の作品だ。

うわ〜、凄い人の数。確かに両国が賑わっていたことだけはわかるわね。

どちらも川開きを描いたものだけど、橋本秀貞の方は広角レンズというか魚眼レンズで撮った写真みたいで面白いだろ。若き北斎の方も、人々の生き生きした表情なんかに後の巨匠の片鱗が見える。

人の数も半端じゃないけど、さっきの話にあった舟の数も半端じゃないわね。

川開きが江戸っ子にとってどんなに待ちこがれたイベントだったか、よくわかるだろ。そしてもうひとつ注目してほしいのが…。

わかった。花火ね。



そう。川開きと言えば花火というのが、江戸の風物詩になるんだけど、その話はまた次回。

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